はじめに
本記事は、耳にすることはあるものの、どういうものかよくわからない「地方分権」について解説する記事です。
まず押さえよう
「地方分権改革」とは、住民に身近な行政は、できるかぎり地方公共団体が担い、その自主性を発揮するとともに、地域住民が地域行政に参画し、協働していくことをめざす改革です。
内閣府の地方分権のホームページから
地方分権の定義として、ここでは、内閣府のホームページから引用しました。
地方分権の流れ(地方分権改革)は、1990年代から特に高まりを見せ、第1次分権改革では、機関委任事務制度の廃止と法定受託事務・自治事務への事務の再編などが行われました(2000年施行)。
第2次分権改革では、自治体への規制の緩和、市町村への権限移譲、国と地方の協議の場の法制化など、自治体の自由度を増す方向での改革が行われています。
中央集権とはどういうものか
「地方分権」というのは、たいへんイメージしにくいものです。
少しでもイメージしやすくするために、「地方分権」の反対の「中央集権」について王様と息子たちのたとえ話からはじめてみます。
ある国があって、王様がいます。(議院内閣制で考えてもいいですが、中央集権ですと、王様が似合いますからね)
王様ですから、その国の全権限を握っています。
全権限とは、いろいろルールを決めます(=立法です)。ルール違反を裁くのは、最終的には王様です(=司法です)。税金を徴収し、豪勢な宮殿をつくったり、そこに全国からつながる道路をつくったりします(=行政です)。
税がたくさんあがるように産業の振興に努めたり、治水や灌漑をしたりすることもあるでしょうが、どこをどのようにやるか、大事なことは王様が決めます。
広い国土なので、ブロックに分けて、細かい話はそこに任命した地方長官に取り仕切らせますが、たまに呼んで話を聞きます。大事なことは必ず報告させ、自分で決めます。自分の聞いていない問題が起こったら、すぐに地方長官をクビにします。
こういうやり方はまさしく中央集権ですね。権限と事務が両方とも中央(王様)に集中しています。そもそも分権や地方行政という考え方がありません。
分権の種類
王様には、子どもが二人いました。
二人の子どもは、領土の拡大に熱心で、長男は東の隣国を征服しました。次男は一つ山を越えた西の隣国を征服しました。
王様は喜んで、二人にそれぞれ征服した国を統治させることにしました。
長男と次男は王様に訊きました。
「統治させてくれるということは、お父さんと同じように全部自分で決めて、お父さんは口出ししないということなのですか?」
王様は言いました。
「いや、征服した国はこことひとつになるので、王は私だ。二つの国にも私の定めた法が適用され、裁くのも私だ。大事な政策は私が指示する。ただ、お前たちにはそれぞれの国の役人の任免の権限とその国からあがる税の三分の一をやる。どういうように使うか後で報告に来い」
長男は納得しました。
次男は言いました。
「私の征服した国は、こことは気候も民族性もちがいます。もちろん産業もちがいます。ここの法律をそのまま適用したら、暴動が起きます。徴兵と通貨の制度は同じにしますし、外交はお父さんにお任せしますが、それ以外のことは、あの国に合うように、すべてお任せ願えませんか」
少し長いたとえ話をしましたが、長男の治める国は日本に近いです。長男の国では、権限(どういうようにやるかと違反に対する裁き)は中央(王様)に委ねられ、そのルールにのっとった個々の仕事は長男の国の役人が行います。
日本に当てはめると、各省庁と内閣が法律をつくり、国会が議決し、その多くを省庁などの指示のもと、実行するのが自治体ということになります。
次男の国は、王様が行う部分と次男(地方)で行う部分を分けて、地方で行う部分については、ルールづくりから実行まで次男の責任で行うという形です。
アメリカは各州が集まって国家をつくったという経緯があり、州の自立性が高いですが、次男の国はアメリカに近いイメージです。
地方分権改革はなぜ起こったのか
長男の治める東の国は、父の定めた法により、今までなかった教育の制度や取引の制度をつくり、父が早速工事に取りかかった、東の国から王宮に続く幹線道路を軸に、長男が計画した東の国の主要都市を結ぶつける道路網をつくり、発展していきました。
ところが、しばらくすると、問題も出てきました。
今までは制度の普及や施設の整備を優先してきたので、長男も多少のことは我慢してきましたが、王様の定めた法律やそれに基づく臣下の指示によると、東の国では不都合なこともたくさんありました。
例えば、王宮近くまで行く馬車の停留所を5メートル動かすために、臣下を通じて王様まで承認をもらう必要がありました。
王様が直接治める国でも大変な労力ですが、東の国の首府は王宮から遠かったので、書類を届けるだけで5日もかかり、また、その承認には、最低でも3カ月はかかったのです。
もっと大きな問題もありました。今まで東の国で暮らしていた若者が、王様の治める国へ馬車に乗ってとどんどん出ていくようになったのです。
その結果、生まれる子どもの数も減り、順調に伸びていた人口も減ってきました。
長男は考えました。私が征服したころに比べれば、この国はよくなっただろう。でも、このまま続けていったら、尻すぼみだ。なんとかしなければ。
地方分権推進委員会の中間報告と第1次分権改革
さて、ここで、話は1995年の日本のことになります。
一連の地方分権の流れを推し進めたのは、「地方分権推進委員会」という組織です。(組織の概要は後記参照)
1995年にその委員会が設けられ、翌96年3月に「中間報告」を出しています。
中間報告で、地方分権の推進が求められている理由として
- 中央集権型行政システムの制度疲労
- 変動する国際社会への対応
- 東京一極集中の是正
- 個性豊かな地域社会の形成
- 高齢社会・少子化社会への対応 の5点を挙げています。
長々と書いた王様と長男の話と比べていただくと、抽象的な1.から5.の表現が多少なりともイメージしやすいものとなっていれば幸いです。
この地方分権推進委員会と各省庁との折衝で、機関委任事務制度廃止等の第1次地方分権改革が進められました(改革内容は後記)。
※地方分権推進委員会
地方分権推進法に基づき設置された委員会。目的は、地方分権推進計画に基づく施策の実施状況を監視し、その結果に基づき内閣総理大臣に必要な意見を述べること。1995年7月発足。7人の委員で構成され、委員長は諸井虔(元秩父セメント株式会社代表取締役社長)。
第2期地方分権改革
第1次地方分権改革の後、小泉内閣による三位一体の改革が行われ、市町村合併が進みました。
こうした状況を踏まえ、2006(平成18)年12月に新しい地方分権改革推進法ができ、それに基づき、翌07(平成19)年4月に地方分権改革推進委員会が発足しました。(組織の概要は後記参照)
なお、細かいことですが、最初の地方分権改革は、「第1次」、2度目のものは「第2期」と呼ばれています。
また、第1次で設置された委員会と第2期で設置された委員会は名前が少し違い、後者には「改革」の文字が入っています。
第2期の改革は、「地方が主役の国づくり」を掲げ、国と地方の役割分担を決め、事務や権限を地方に移譲すること、特に基礎自治体である市町村に地域の事務を行わせることを目指すものでした。
※地方分権改革推進委員会
2006年12月に成立した新しい地方分権推進法に基づき翌07年設置された委員会。目的は、地方分権改革推進計画の作成のための具体的な指針を内閣総理大臣に勧告し、地方分権改革の推進に関する重要事項について、内閣総理大臣に意見を述べること。7人の委員で構成され、委員長は丹羽宇一郎(伊藤忠商事株式会社取締役会長(当時) )。2010年3月まで存続。
地方分権改革の内容
それでは、地方分権改革の具体的な内容はどのようなものでしょうか。
内閣府が2013年にまとめた地方分権改革の成果に沿って、具体的な内容を説明します。
1 第1次分権改革(2000年ごろまで)
機関委任事務制度の廃止と法定受託事務、自治事務への事務の再構成
都道府県知事などが国の機関として行ってきた機関委任事務を廃止し、自治体の事務を法定受託事務と自治事務という2区分に分け、自治体の事務の自由度を高めました。
これの詳しい内容については、別のブログ(自治体の行う「法定受託事務」「自治事務」とは)をご覧になってください。
国の関与の新しいルールの創設
様々な国の自治体に対する関与方法について、整理をし、関与を原則文書で行うこと、必要最小限度のものとすることなどの原則を定め、第三者による国と地方の係争処理制度(国地方係争処理委員会)の創設などがされました。
法定受託事務と自治事務の関与のちがいについては、別のブログ『自治体の行う「法定受託事務」「自治事務」とは』をご覧になってください。
関与のうち、技術的助言に関するものは、別のブログ『国からの通知でよく目にする「技術的助言」とは』をご覧になってください。
権限移譲
国からいくつかの権限が移譲されました。例えば、農地法の転用許可などです。
2 第2次分権改革(2006年から)
地方に対する規制の緩和
これは、「義務付け・枠付け」の見直しといわれるものです。法令には自治体が「行わなければならない」「行ってはならない」というように書かれているものがたくさんありますが、こうした内容を自治体が条例で定めることができるようにするものです。
義務付け・枠付けの見直しの詳細については、別のブログ(義務付け・枠付けの見直しとは、何を見直すのだろう)をご覧ください。
基礎自治体(市町村のこと)への権限移譲
日本は、自治体が都道府県と市町村の2段階の構造になっていますが、市町村のことを基礎(的)自治体と呼んでいます。
住民に近い市町村ができるだけ事務を行うのが望ましいという考え方に基づくものです。
国と地方の協議の場の法制化
国の大臣と知事、市町村長、都道府県や市町村の議会議長の各全国組織の代表者が集まって、地方自治に影響を及ぼす国の政策の企画及び立案並びに実施について、協議をするものです。
ここでは、「協議」という対等の立場の者が話し合うという意味の用語が使われていることと、この会議を開くための法律ができたという点が重要です。
最近の展開
2014(平成26)年以降は、勧告に基づく義務付け・枠付けの見直しや権限移譲だけでなく、自治体からの提案によるものを見直しなどの対象としています(提案募集方式)。
具体的には、自治体からの提案を内閣府がとりまとめ、その採否を担当省庁で検討するものです。
その検討結果は、地方分権改革有識者会議に設けられた提案募集検討専門部会に報告され、その審議をもとに内閣府と関係省庁で調整されます。
権限の移譲については、基本的に全国一律で行いますが、一律の移譲が難しい場合には、希望する自治体に選択的に移譲する「手挙げ方式」を導入しています。
こうした改革については、規制緩和などの対象となる法令の改正を伴うものです。
令和4年度までにこのような改正を一括して行ういわゆる「地方分権一括法」(「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」)が12回制定されています。
まとめ
ここまでお読みいただきありがとうございます。
読んだ後でもやはり「地方分権」てよくわからないなという方もたくさんいると思います。
それは、おそらく、「地方分権」というきらやかな言葉の響きと、ある意味地味な改革の内容にギャップがあるからなのかもしれません。
国の行政も地方の行政ももともとほとんどが地味なものです。それの意思決定や実行方法や責任の面について、現在の大まかな法制度の枠を変えない範囲でできるだけ地方の側にもっていくというのが、これまでの「地方分権改革」です。
もっと根本的に国と地方の役割分担を見直す、つまり次男の国のように役割分担を明確にするという議論もあります。それは「道州制」の議論です。
これについては、別の記事で今後触れます。
根拠法令等
地方分権推進法
地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(地方分権一括法)(これにより地方自治法等が改正され、機関委任事務の廃止や法定受託事務・自治事務の区分が創設される等した)
地方分権改革推進法
地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(「地方分権一括法」(自治体への権限移譲や義務付け・枠付けの見直し事項について定めるもの)
国と地方の協議の場に関する法律
参考資料・文献
地方分権の定義を含めた地方分権全体の参考資料(内閣府の地方分権のホームページ(内閣府の政策→地方分権改革、2023年1月7日参照))
これまでの地方分権改革の成果(内閣府の平成25年第3回国と地方の協議の場提出資料、内閣官房ホームページ→各種本部・会議等の活動状況→国と地方の協議の場→平成25年12月12日(木)次第、2023年1月7日参照)
地方分権改革の経緯(地方6団体地方分権改革ホームページ→第二期地方分権改革から現在までの地方分権改革の動向→リンクページあり、2023年1月19日参照)
西尾勝著『地方分権改革』東京大学出版会、2007年
(本書は、地方分権推進委員会の委員でもあった著者が、地方分権改革に係る政府や各省庁との折衝の状況を含め、第1次改革の全体像を詳細に記したもので、この記事を書く際に参考としました。)
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